文系と理系という概念に支配される僕らの話
人生の道が決まると言われる大学受験には文系と理系がある。しかもその受験のためだけに高校2、3年ぐらいに理系クラスと文系クラス、選択科目を決めなければいけない。
そんな早い段階に決めろと言われても、正直僕には無理があった。(しかも僕はあの頃何も考えず生きてたし)
こんな風に思ってるのは僕だけではないだろうけど、それが一般的であり普通であり日本または世界(世界に関してはようわからん)の当たり前なのかもしれない。
だからあえてそこに疑問を投げかけてみた。
文系とか理系が悪いとは思わない
こんなニュアンスで進めていると、まるで早い段階で文系やら理系やら決めるのは間違っている的な感じに思われるだろうが少し違います。
高校生の時に人生を考えてしっかりと選択をする人もいるだろうし、考えていない人は本当に考えていない。(過去の僕のように)
なんとなく興味のある分野・学部・学科に進む。興味がなくても良い大学を選択する。それが普通であり、一番リスクが低いのではとも思う。
というのも理系にすればよかったとか、文系にすればよかったとかは大学生になってから、就職活動を始めてから、社会に出てから気づく人がほとんどだと思うから。
逆にこの選択が正しかったと思う人も絶対にいるわけで、彼らからしたら余計な分野を学ばなくてむしろ最高なシステムだとも感じているのではないだろうか。
重要であり問題なのは、その選択が失敗だと気づいてからどのように行動するのかだと思います。
文系だから、理系だからという理由で終わらせるべきではない
どんなにアホな人でも、「人は失敗をして、失敗の中から学んで生きる」ということは知っている。
知っているにも関わらずなぜか諦める人が多いとすごく思う。
すごくわかりやすくピンポイントでいうと、文系だからエンジニアにはなれないという感じ。
まるで大学の文系と理系という概念や枠組みに支配され、人生の半分の選択肢を20代前半に絶たれたと言わんばかりに。
だがそれは単なる思い込みであり、現状はいくらでも変えられる思う。現に人生を変えた人・変えている途中の人の記事やブログなんてそこらへんにたくさんある。
それにすら気づかないのは、自分が何も行動していないだけであって、決して文系や理系という謎の生き物のせいではない。
多くの人は突きつけられた現状に屈服し、その時点から謎のカウントダウンが始まる。
ちなみにカウントダウンは大学卒業までであり、そこからは地獄のような生活が始まると日本の多くの学生が思ってるのではないだろうか。
だとしたら生きている意味はわからないし、自殺者が多いのにも悲しいが納得できる。
ただそんな数々の疑問を持ち、考え、学び、何かを目指すのが人生だと思うので、文系の畑・理系の畑を耕したければただそのために行動すれば良いのだと思う。
ただし僕らも人間なので早めに行動しないと体力もメンタルも弱ってくる。20代前半に気づけたならば幸せなことだと思う。
まー実際に行動してみると老いを感じ、不安を感じ、時間に対して焦りを感じるのも確か。
ただ生きてることを実感できるのは間違いないと断言できるし、時間に対して焦りを感じているなら良い方向に向かっているのも間違いないと僕は思う。
そうやって僕らの知識やスキルや考えは向上していくのだと思う。
だからもう文系と理系という概念に支配されるのは終わりにしましょう。
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